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ヤンゴン市長等インタビュー

市長インタビュー.jpgちょっと前になるが、2012年5月下旬?6月初旬にかけて日本の某テレビ局クルーが訪緬取材することになり協力を依頼された。取材についていろいろ企画されておりそれに対応したが、その中にインタビュー取材の依頼があり何人かにお願いすることになった。

 その中の1人が現ヤンゴン市長のU Hla Myint氏で5年5ヶ月ほどミャンマー大使として日本に赴任した経験がある。日本でもっとも印象深かったことは何かの質問には、天皇陛下に信任状を奉呈したときと、帰国前に宮中に招待してもらったことを真っ先に話していた。このときは、ヤンゴン市内の水供給問題と下水処理問題、低所得者層向け住宅の供給、人口増に対応するためのニュータウン計画、ごみ処理問題などを挙げてできるだけ早目に解決しなければならない課題だと取材に対して語ってくれた。この日の取材は予定時間より40分ほど遅れたが、ヤンゴン市庁舎近辺でイスラム教徒のデモがあり、それを取り囲むように仏教徒たちが集結。まんいちの事態を阻止するため治安当局の車が多数集まっていたため、外出中だった市長がこれを回避するのに時間を要したたためだった?我々のあとに韓国の団体が待っていたらしく、会議室を出る際、睨まれた。▼写真は市庁舎会議室

 KBZ副会長.jpgミャンマー国内最大の民間銀行であるカンボウザ銀行の副会長(当時)であるU Than Lwin氏にもインタビューが行われた。当時の支店数は64と応えていたがその後、急速に拡大し、今は300店舗を超える。同氏は元は中央銀行副総裁の要職にあり、財務省の現役の顧問でもあり、カンボウザ銀行埜発展には同氏の手腕もかなり貢献している。同氏によると、カンボウザ銀行は航空会社を含めて17の企業をグループにもち、カンボウザ銀行に限らずグループ会社には日本との関係が深いところも存在する。カンボウザのシンボル・マークは、赤と青の二重の三角だが、銀行幹部はルビーとサファイアで装飾されたその形のバッジを胸につけ、インペリアルジェードの緑の指輪をはめている。これはオーナーの元々の家業が宝石であり、それを忘れないためだという?今でもカンボウザは国内最大の宝石業者のひとつでもある。

同氏によると、1948年当時は、ヤンゴンに48の外国銀行が支店を置いていたが、2011年3月現在では15行しかなかった。提携した日本の銀行はその中のひとつでもあると語った。話は多岐に及んだが、こ国内の銀行サービスは改革途上にあり、カンボウザも先駆けてATM機の設置等進めているが、喫緊の課題は人材育成だという。親日家で知られる同氏は、残留日本兵の話も話題としてとりあげ、今は彼等の孫の世代になり、中にはミャンマーで有名になった歌手もいるなどのことを話していた。 ▼写真はカンボウザ銀行本店会議室

 

サージパンjpg.jpg国内では有名な実業家として知られるサージ・パン氏(Serge Pun)は、1953年ヤンゴン生まれの華僑系ミャンマー人。1965年に国外に出て1973年から香港で不動産業を営み成功。1991年には帰国し、SPA (Serge Pun & Associate)、FMI(Firest Myanmar Investment)などを設立。傘下には航空会社、銀行など40以上の企業グループを抱え以前も、また、現在も日本の企業との関係も深い。

当時からティラワの経済特区開発を前提したStar City Projectをタンリン地区で開発中だった(※このような方法での不動産開発事業は同氏によれば3番目?取材が行われたのは同氏がオーナーであるパンライン・ゴルフ場内のレストランだが、ここも近くに工業団地がが開発された地域。ちなみにこのゴルフ場は東南アジアでも有数のゴルフ場という評価がある)。テレビのインタビューにはなかなか応じないことでも知られていたが、今回の取材は2度目だと語っていた(※ちなみにもうひとつはイギリスのBBC?2012年6月現在)。同氏はグループ全体の会長食にあるが、社長兼CEOの職は既に長男に移譲。息子は海外で育ったせいかミャンマー語は話せない。また、シンガポールでアメリカの大手金融機関で仕事をしていた経験があり、関連会社であるYoma Strategic Holdings社をシンガポール株式市場に上場させるなど、最近はそこをペースにしたネットワークが活発に動いているように思われる。なお、以前から日本企業との関係も深く、これは今でも変わらない。 ▼写真はパンライン・ゴルフ場のレストラン。

 

商業大臣.jpg短期間で多数人に対するインタビューが行われたが、実際には多くがカットされ放送されることはなかった。長年、ミャンマーに関係している立場からするといずれも貴重で、なかなか取材できない相手だとはいってもインタビューそのものは TV的ではないということらしい。経済界の若手実力者とか、商業大臣とかも含まれていたが、編集で削除されていた。
 

外国のTVメディアからの取材を受けるというのはミャンマー側も慣れていなかったし、取材する日本側もミャンマーのことをあまりよく知らないまま来ているため話がかみ合わないという場面もあった。また、このTVクルーは全員メディア用のビザを取得しての来緬だったが、それ自体が当時まだ結構大変で、現場に居合わせたメディア関係者は誰も取材用のビザは取得していなかった(※取材を許可されると、情報省発行の許可証を常に首に下げて取材するように指示されるが、取材現場に何度か居合わせたがほとんどがそういうことはしていなかった)。 ▼写真は商業大臣とのインタビュー(ネィピドー)