日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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幻のリムジン・カー

                              

ミャンマーは2006年custom car.JPGにアセアン議長国となる予定だったが辞退した。 それに遡る2年前に、各国首脳を送迎するのに内装を完全なミャンマー・スタイルにしたリムジンカーをつくったら いいのではないかと思うひとたちがいた。            

イタリアの有名自動車メーカーでエンジニアとして20年以上の経験を積んだ専門家が興味をもってくれた。日本国内にハンド・メイドによる自らの設計所や製造工場を有し、そこを来日したミャンマー政府の関係者等と訪問したが、工場では日本人やイタリアからきた技術者たちが研修や指導を受けていた。また、亡くなった俳優・森繁久弥氏から修復を依頼されたという古いフォード(1930年代製造)などが並んでおり、作業が済んで見違えるような輝きを取り戻したアンティーク・カーも置かれていた。 

    ミャンマーから見学のため来訪した関係者は、この戦前のフォードなどを見て驚き、その内装や出来栄えにしきりに関心していた。また、イタリアから来たという研修生や日本人技術者たちが手作業で製作したという試作車があり、興味深かそうにながめては質問を繰り返していた。(写真はハンドメイドで試作製造された古いタイプのスポーツ・カー。来日中のミャンマー人は工場の敷地内を試乗させてもらったりしていたが、すばらしいを連発していた)。

   特に外国から来賓を送迎するのにリムジン・カーの需要はあるだろうという点と、ミャンマー人技術者は国内で実際に中古自動車の組立や修理、改修その他の関連作業の経験が豊富で、かつ、自動車に対する関心が高いし、また、大量生産を行う隣国タイに比してイタリアのように手作りの自動車製造を行えば特色が出るのではないか、といったようなあれこれが考慮されてのプランだった。この計画の最大の売りは、リムジンカー製造そのものではなく、その内装にあった。ここにミャンマーの伝統的文化や芸術などを反映させるというがコンセプトのひとつで、日本の工場に置かれていたカスタムカーの実際の内装の出来栄えからみて、ミャンマーで完成すれば本当にすばらしいものができるのではないかとみんな期待した。この経験ある日本人エンジニアが、ミャンマー国内でリムジン・カーの製造を期して計画を立て、実際に訪緬し、関係者との協議や調査を行ったことがある。

  Industry 2.JPG 第二工業省及び同省所管のミャンマー自動車・ディーゼルエンジン公社の幹部から国内の自動車関係の事情説明を受けたり(左の写真参照)、ヤンゴン市内のカバ・エー通り沿いにある同公社所管の自動車の組立工事などを見学した。

 連れて行かれた工場は、かつて、韓国の大宇自動車が製造を行っていたところだったらしく、このときは四輪駆動車などの組立作業が実際に行われていた。
 参加した日本人たちを驚かせたのは、板金・溶接などの(日本では男性の仕事と思われている)作業を、女性が担当していたことだが、彼女たちの作業の様子を見ていて日本人専門家は、ここでのリムジン・カー製造の可能性について、「少し指導と経験を積めば大丈夫だろう」と自信を深めたような発言をしていた。
 このようなことから、メイド・イン・ミャンマーのリムジン・カー製作が本当に進むと思った。具体的にもある日本車をベースに、それを真ん中から切断して、ミャンマー的な内装を施した長いリムジン・カーを造るという話なった。担当するのはイタリアの有名自動車の元技術者で経験も能力もある。将来的には近隣諸国から一台一台注文を受けて、カスタムカーとして輸出することもできるのではないか、ミャンマーがEUのイタリアのようになるのではないか、素人でもワクワクするような思いがあった。

  しかし、結果的にはこの件は実際の作業に着手する前に頓挫してしまう。詳細はともかくとして、ミャンマー側の事情と日本側の事情が若干かみ合わなかったためである。お互いが望んでいたにもかかわらずできなかった。2006年は、ローテーションによればミャンマーがアセアン議長国に就任する年で、海外からの国賓など多数の来訪が予定され、新しいヤンゴン国際空港の建設なども当時進んでいた。しかし(特に前年から)、アセアン諸国は(ミャンマーの議長国就任に対して)欧米諸国からの強い批判を受け続け、国によっては議会と政府が意見を対立させるところなどもあらわれるなど、少なからず混乱していた。この事態を受け、ミャンマーは、「アセアンの友人たちを困惑さぜたくない」として議長国就任を辞退するというかたちで収束させた。今また、ローテーションによって2014年に、ミャンマーはアセアン議長国就任が予定されている。