日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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ミャンマー製船舶と国際展示会(1)

Boat Show2.JPG国際展示会の関係者や出展企業の誰もが驚いたのが、ミャンマーからFRP製の船舶2艇がいきなり出展してきたことだった。アセアン諸国からの出展自体が珍しい状況の中で後発途上国にリストされているミャンマーからどうしてそんなことができるのかと不思議がられた。実際にも展示されているのは先進国の、また、国際的にも有名な製造会社のものばかりという中で、そこだけ異彩を放っていた。2002年下旬からミャンマー海事大学と協力して、技術者が悪戦苦闘の指導を行い始めてから、わずか数年で国際展示会に出せる船舶を製造できるようになるとは関係者の誰もが予想していなかった。製造にはミャンマー人技術者5名と作業員10数人が関与していたが、出展は彼らの潜在能力の 高さも証明していた。

しかし、実際に出展するまでには次から次に問題が発生し ており、そもそも、出展予定の船舶そのものがヤンゴンから船積みされる段階ではまだ未完成で、技術指導の担当者から何度か「中止してもいいか」という連絡が入っていた。もちろん、ひどいレベルものなら無理して出展する必要はないし、逆効果ですらあるから日本サイドとしては中止要請を了解したが、ミャンマー側関係者から「どうしても出展して欲しい。大学だけではなくみんな期待している。何とかして欲しい」と現場では懇請され続け、結局、押し切られるようにして船積みすることになったようだが、それでも日本側は未完成のまま輸出手続きがとられていたとは思っていなかった。 写真は展示中のメイド・イン・ミャンマーの船舶と見学者

Boat Show 3.JPGそればかりではなく、到着港を横浜と指定していたにもかかわらずインボイス等には東京港と記載されていたり、到着予定日が会場への搬入予定日と同じ日だったりとトラブルは続いた。未完成のまま来るため、ミャンマーのエンジニア2人を短期滞在で招へいしたが、到着日が搬入日と重なる以上、会場で残りの作業を行うしかなく、到着が1日でも遅れると展示場所を考慮して順番に搬送され既に展示済みの各ブースを避けつつ指定ブースまで運ぶことになるが、それは事実上不可能である。心臓に悪い状況だったが奇跡的に ( としかいいようがないが )搬入はうまくいった。かわいそうだったのは、来日するというので家族や親戚・友人27人にヤンゴン空港で盛大に見送られ、初めて来日したエンジニアで、家族等の期待に反し、開場までの3日間、ほとんど睡眠をとる時間もなくキャビン内装の工事を行うことになってしまった。しかも、時期が2月初旬で、かつ、開催中以外はエアコンが使えない。暑いミャンマーから来た2人は、厚着のうえにジャンパーとマフラーを着用して、船の中で仮眠をとりつつ、必死の作業を続ける。会場は天井も高いうえ、広すぎるが、ヒーターなどは厳禁されており、とても熟睡などできないという状態のまま、作業は開催期間初日のオープン後も続き、終わったのはその日の午後2時ころ。疲労と寒さに耐えてがんばっていたせいか、エアコンが効いて暖かくなった中で、展示された船舶の下に入り込んで死人のように転がって寝込んでいた。よく見ると操舵用ハンドルは動かず、表面を大理石加工した洗面台も取り付けのバランスが設計図通りになっていないなどの問題も残っていたが、ピクリともしない彼等には何も言えなかった。 写真は展示会場の様子で、真ん中にミャンマーの船舶が見える。

Boat Show 4.JPG会場でのミャンマー製船舶は、設計者のコンセプトが評判で、特産のチーク材がふんだんに使用されており、大部分が豪華でシャープな船艇ばかり展示される中で見るとディズニー・シーに出てきそうな、あるいは、タグ・ボートような、ずんぐりしたスタイルとグリーンという船艇カラーが印象的で、とても目立つ。アンケートへの協力を前提にしたにもかかわらず見学希望者は絶えることなく、長い列が出来ていた。記入された用紙から逆算すれば、1日あたり400人以上がブースを訪れて、船の中に入って見学していたことになる。なかには帰国前に、友人に誘われて偶々見学に来ていたミャンマー人もいて、予期しないところで母国のナショナル・フラッグが掲揚された船舶を見て涙ぐむ姿もあった。「生きている間に、まさか日本でミャンマーの工業製品を見るとは思ってもいなかった」と握手を求めてきて、そんなことを話していた。熟睡中のエンジニアを紹介して直接この話を聞かせれば、彼等もきっと死ぬほど嬉しかったにちがいないが・・。 写真は展示ブースの前で記念撮影に応じる協会関係者とミャンマー大使。