日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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12月7日午後2時40分

First Flight.JPG「12月7日午後2時40分。テスト飛行に成功しました」。メッティーラ(Meiktila)の公衆電話から協会ヤンゴン事務所に一報が入った。おめでとうとお疲れさまの言葉を伝え、受話器を置き、心配して待機していた関係者に伝えたら、期せずして「バンザイ」の歓声が上がり、握手が交わされた。以前、このコラムに紹介したが(「不運な1日」)、ミャンマーの新設大学だった航空宇宙工科大学の教員や学生、その他の関係者と協力して軽飛行機の組立指導を行ったが、巡り合わせの悪さのため、当初の予想以上に難航していた。

期間ひとつをとっても1週間から10日間の予定が3週間近くに延び、場所もヤンゴン空港からメッティーラへ移動していた。作業のためにアメリカから2人、日本から4人の専門家が来ていたが、周りに何もない、まだ工事中の大学敷地内に造られた5部屋しかないゲストハウスに滞在しながら黙々と作業に従事した。解体し、整理して搬入したコンテナを、悪路の中ヤンゴンからメッティーラまで300km以上をトラックで搬送したため専門家たちが大学内で確認したときは、コンテナ内はバラバラで、翼もデコボコ。部品を整理し、翼を叩き出してきれいにするところからスタートし、コンクリート舗装作業中の格納庫で埃を気にしながらの組立作業である。唯一の楽しみである食事もインド系と見られるコックが一生懸命作ってくれるけど、ほぼ毎日同じもので、「少し味を変えて欲しいと依頼するとスパイスの種類と量を増やすので、益々、口に合わなくなる」(担当した専門家の話)。写真はテスト・フライトに成功したメッティーラ上空の軽飛行機。

Taxi Road.JPG悲惨な・・とも思えるFAXがヤンゴン事務所に何度か届き、その都度、関係者でヤンゴン市内を日本食を求めて探し回り、レトルト・カレー、カップ麺、味噌汁、その他と手に入るだけの日本食を買い集めて、大学関係者にメッティーラまで持参してもらう。無くなった頃にまたFAXが届く。「カレー、カップ麺等とても美味しく頂きました。レトルト・カレーが残りひとつとなり、それをどうやって食べるかみんなで検討しているところです」といったような趣旨の文章に、慌てて外に飛び出し追加の買い出しをして、それをまた届ける。数回は繰り返した。可笑しいけど声を出して笑うのは不謹慎のように思えた。

組立作業が進行するのと併行して、別の問題が持ち上がる。格納庫の出入り口が狭い。目測では両翼の長さに不足するように見えたが、こちらはギリギリでセーフ。しかし、使用予定の滑走路が雑草だらけで走れない、そこに至るまでの誘導路がないし、途中にある石造りの橋の欄干が翼に当たる。しかし、この程度の問題はミャンマー側にはたいした問題ではないらしい。いきなり突貫工事が始まる。雑草を刈り、誘導路建設に取り掛かり、石造りの欄干は片方をハンマーで完全に壊してしまった。写真は誘導路建設作業中の様子。短期間で造り上げてしまった。

さらに完成間際になってダメ押しのように2つの大問題が発生する。ひとつはシンガポールから輸入して届いているはずの青色に着色された100LLという種類の軽飛行機用燃料が大学に届いていない。ドラム缶5本分である。もうひとつは、1cmほど部品のネジ1本だけが見当たらない。両方とも致命的になりかねない問題だった。最後まで不運は続く。結局、燃料はオクタン価の高いガソリンで代用できることが訪緬したエンジニアによって確認され、ネジ1本はコンテナの中で発見された。

既にこのときはテスト飛行のため管制官との協議もスタートしており、最悪の場合、組み立てた軽飛行機を大学に残して帰国するしかないと考えた関係者を安堵させた。このような経緯を辿り、12月7日午後2時40分、管制官が離陸承認(Cleared for Take Off)を出し、軽飛行機はメッティーラの空を初めて飛んだのである。作業に従事した専門家6人が、1人2時間ずつ、それぞれ作業をアシストしてくれた大学関係者を乗せて、合計12時間の(テストとデモ)飛行に成功した。

エンジニア兼パイロットの6人は、翌日には大学側に完成機を引き渡し、その日の夕方、ヤンゴンに帰還。事務所で待機していた関係者の1人が、宿泊ホテルに勤務する女性6人を就業時間終了後に手配し、国内線ロビーに現れた彼らに花束を贈呈して歓迎。疲労の様子もみえたが嬉しそうだった。さらに同氏が市内高級ホテルの日本食レストランに予約を入れてあると告げると全員が喜びを顔に表した。