日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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未完のUltra Light Plane

Ultra Light Plane wing.JPGウルトラ・ライト・プレーンを学生と一緒に製作したいというN氏の申し入れを航空宇宙工科大学(Myanmar Aerospcae Engineering University )及び科学技術省が受け入れて、同氏は新設間もない大学で講義と併行して組立を実施されていた。1年間の予定だったが、全ての部品を一度に運ぶことは保管などの問題もあって回避し、訪緬日程と滞在期間に合わせて、可能な作業範囲の部品をその都度アメリカの会社から購入し、日本からは空輸及び一部持参という方法で搬送されていた( 協会はこの輸出とミャンマー国内での調整などをサポート)。予定されたのは座席が前後2つ付いた超軽飛行機で、学生にとっても実際に飛行機を製作するのは初めての体験。完成させればかなり有意義な成果を彼らにもたらすことが予想された。

N氏は、ヤンゴンに到着後、大学のあるメッティーラまで夜行列車で15時間かけて、あるいはバガンまで飛んでそこから大学の車で4時間かけて出かけていた。現地を訪問するだけで1日または半日かがりである。毎回日本から持参されていたのがコーヒーで学生たちと一緒にのむのを楽しみに、サイフォンまで置いてあった。父親がビルマ方面作戦で航空隊の一員として従軍。この地で戦死したと話されていた。 写真は製作中の主翼部分。

MAEU n.JPG何回目かの訪緬の際に、バゴーによく当たる占い師がいるというので関係者が案内してくれたことがある。ミャンマーには占いを生業にする人が相当数存在しており、人々はいろいろなことを相談しに出かけている。有名になると順番待ちということも珍しくない。日本の国会議員(現職)の中にも約20年数前、地方議員の時代に訪緬して自分の将来をみてもらった人もいる。ミャンマーとは全く縁がないように見えるその人物は、「自分のそれからの人生は、あの時のヤンゴンの占いの通りに進んできた。できればもう一度出かけて、また占ってもらいたいことがある」と述懐されていた。バゴーの占い師もN氏の父親がミャンマーで死んだことを言い当てた。それだけでなく、異母妹がいることとミャンマーでやっていることは終わらないことも告げた。父親のことがあったので、妹が本当にいるとN氏は信じたが、何の情報もない以上、探し出すことは最初から不可能だった。それでもミャンマーに肉親がいるかもしれないというので気合が入り、「終わらない」といわれた作業はぜひとも完成させようと決意を新たにされていた。

しかし、結果的に占いは当たってしまい製作は未完のままに終わる。原因は心臓疾患のため数度に及ぶ手術と入院のためだった。最初の手術のときにお見舞いに出かけたが、胸から腹部にかけて真っ直ぐ延びた縫合の痕跡が痛々しかった。それでも退院後、半年ほどしてから再び訪緬。メッティーラの大学を訪れて、学生たちと変わることなく作業を行い、コーヒータイムも満喫されたが、帰国後しばらくして再び手術することになり、それからは訪問自体が難しくなってしまい断念された。

言い当てた占い師の方は、甥っ子夫婦が東京で生活しており、その招きを受けて来日した。入国の際、成田空港で質問を受けたがミャンマー語しか理解できないため不審に思った係官に別室に連れて行かれたが、要領を得ないため取り調べにもならず30分ほどして入国を許可された。しかし本人はめまぐるしい東京と狭い部屋に驚いてしまい早々に帰国。もう二度と行きたくないと話していたらしい。 左上の写真は航空宇宙工科大学。