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ピューの遺跡

Pyu era 1.JPG紀元1世紀ころにミャンマーにはピューと呼ばれる民族が王国を建設していたと言われる。ビルマ族の最初の王朝が創られたのが、1044年にアノーヤーター王が創ったバガン王朝だと言われているので、その時代より1000年以上前の話になる。

ビルマ年代記によると、バガン王朝以前に全41代の王が存在していたことになっているが、それとピュー時代との
関係は調べたこともないので個人的には全くわからない。しかし、バカンのパゴダ遺跡群の中にはバガン王朝以前のものも含まれており、瓢箪の上部または大根の上部を切ったような様式をもつものは「ピュー式パゴダ」、または「ピュー式仏塔」と呼ばれているので、その頃まで続いたのかも知れない。ちなみに、バガンの遺跡群の中ではブーパヤーがその様式のパゴダとして知られている。

2007年にバガンの遺跡地帯を調査するための予備調査として日本の大学関係者が訪緬して、エンジニアリング協会や文化省の専門家と相談したことがある。その際、バガン地域での考古学の専門家を紹介され、同氏の意見や説明を受けながら実際に遺跡地帯を案内されていたが、バガン時代よりずっと古いピュー時代の遺跡が近くにあるという話が出て、どういうわけかこれに関心を示され、急にそこに出かけたいということになった。 写真は壊れかけたピュー時代の遺跡。

Pyu era 2.JPGその場所を訪問された教授の話によると、バガンを流れるエヤワーディ河近くにあるホテルに宿泊し、そこを翌朝午前6時に出発。河を小船で対岸に渡り、そこでトラックをチャーターしてパコック(Pakokku)に向かい、合計約6時間の行程を経てピュー時代の遺跡があるというKyee Yogoneという場所に到着した。そこでバガンより古い遺跡がならぷ現場を体験することになった。いつごろに建立されたものなのか正確なことは判らないが、乾燥地帯にありながらこんなに古い建物がまだ残っていて、(長ければ)1000数百年は経過していることに驚いた。もっとも未だにきちんとした調査や特別の保存などが行われているようには見えなかったという。

また、遺跡の近くには簡素な古代博物館がつくられていたらしく、遺跡から発掘された遺骨を納めたままの甕などが展示されていたので、本人はその一部をどうにかして持ち帰りたかっ
たらしいが、断られた。隙を見て、黙って持って帰ろうかという衝動にもかられたが、さすがにそういうわけにも行かず残念だったと話されていた。可能ならDNA鑑定をしたかったらしい。さらに、朝からがまんしていたので、博物館でトイレを借りたけど、天井にヤモリが密集していてかなり気持ち悪かったという印象を話されていた。1人だけ半ズボンの探検隊のようなスタイルで出かけたため、あちこちで藪蚊の襲撃に遭い、いろいろなところを刺されてしまったと話されていたが、ミャンマーはマラリアの発生地域だという心配はされていなかった(というか、知らなかったらしい)。偶々その場所にはマラリアを媒介する蚊は存在しなかったのかも知れないけど、かなりリスクの高い格好だったのは間違いない(蛇とかサソリもいたはずだし・・)。めったに外国人が訪れない場所に出かけられたことと併せてかなり幸運だったと思う。写真はピュー時代の崩れかけた仏塔内部にあった寝釈迦像。