日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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日米緬協力の国際学術会議 (2)

PACON3.JPGアメリカから来るのに(米国にあるミャンマー大使館の場所と離れているため)、わざわざバスポートと申請書を日本に送って来る関係者もいた。日本にあるミャンマー大使館にビザを申請してそれをまたアメリカに送り返すことをやったが、その1人が台湾出張の際に、空港でミャンマー入国ビザの用紙をまちがって取られてしまうということもあった。台湾からヤンゴンに入国する予定日の前日だったためアライバル・ビザに切り替えて対応してもらったが、これに類するトラブルは数えあげればきりがない。ヤンゴン到着日に分散して宿泊することになっていたが、当日になってのホテルの変更や出発日の突然の変更と航空機手配、観光アレンジの要請といろいろなことが続いた。  写真は昼食中の各国参加者。

PACON1.JPG日本大使館が用意してくれた来賓用の車が、約束に反して石井協会理事長を残したまま宿泊ホテルから会場に向かったり、大使館が予定していた以外の人が乗り込んでしまって大使館員が同乗できず、来賓等の所在が一時不明になるということもあった(大使館員しか携帯電話を所持していなかったため)。参加者のほとんどは気がつかなかったトラブルもある。開会式で、当初予定されていなかった理事長のスピーチが入っていることが判った。それも現在スピーチ中の来賓の次。会議は全て英語という条件だったが原稿などは用意されていない。そのときの石井理事長「大丈夫。これを読む」と言って見せたのが、日本から招待した来賓用の英文原稿の翻訳文。堂々と日本語でスピーチし、司会が翻訳した。当日夜、ミャンマー側がホストになって晩餐会が行われ、日本側実行委員会の名誉会長だった来賓がその英文をスピーチしていた。スピーチなど誰も聞いていない 証明かもしれないが、ばれなかった。

会議のことは関連記事を含め期間中毎日地元紙で報道された。民間とはいえ日米とミャンマーが協力してイベントを行うこと自体が珍しいということもあるが、海事大学を初めとしてミャンマー側の協力のおかげで会議そのものは順調に進んだ。

最後の日、会場となったホテル側と清算協議を行ったが、2,000ドル不足することが判明した。予定ではアメリカの団体が会議に参加する各位から1人400ドルを集め(ミャンマー人はかなり減額されていたが無償ではなかった)、その中から支弁することになっていた。しかし、アメリカからカードの読み取り機を持参してほとんどをカード決済したため、期間中に現金がなくなっていた。訪問期間の最後になって2,000ドル残している関係者はまずいない。結局、財務担当の河原氏が立て替えることになったが、アメリカ側からその返済と剰余金を協会に返済する旨の確約書をもらって対応した。しかし、5年経った今でも履行されていない。 上の写真は分科会の様子。