日本ミャンマー交流協会 AJMMC:

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最初のヤンゴン連絡事務所

最初のヤンゴン事務所.JPG協会のヤンゴン連絡事務所はこの10年で2回変わった。最初の事務所はダウンタウンにある古い建物の6階にあった。エレベーターがなく、不思議なほど急な勾配階段で、5階を過ぎたころになると這って登るといった状態だった。しかも1人が通れるくらいの狭さで薄暗かった。一度登りきると、降りるのに少なからざる抵抗を覚えた。

外観からすれば、部屋は狭いように思えるが、実際にはガラスの引き戸で仕切られた4部屋があり、広いキッチンとシャワールームも完備され、床はチーク材、家具つき、電話つきというものだった。写真はその事務所の内観。

急な階段を登り、事務所に辿り着くと妙な達成感があって、「やったあ」といった気分になる。停電も多く、エアコンなどもなかったが、この事務所最大の利点は、窓を開けっ放しにしておくと涼風が吹きぬけることで、雨期でも爽やかな風が通り、チークで作られた床もひんやりして、いったん中に入ると快適そのもののだった。登山とよく似ているが違うのは、しばらくすると眠くなる。

ダウンタウンだったので、路上でのモノ売りの声も聞こえた。「ターフゥ。ターフゥ」と叫んで通る声が「トウフ(豆腐)」に聞こえたので、スタッフに確認したら本当に豆腐だったこともある。ミャンマーでも豆腐が作られ実際に売られているのに少し感動した。昼食の時間になっても階下に下りるのは抵抗があったので、持参したカップヌードルを出し、これを食べるからとスタッフにお願いしたことがある。しかし何分たっても出てこない。フタをあけて渡したから彼女はそれに水を入れて置いたままにしていた。質問するのはよくないと思ったのだろう。水を捨て、あらためてお湯を沸かして注いだが、全く味がなくなったスープにとろけた緬で、結局途中であきらめた。暗黙の了解は通用しない。

当時、多くの日本企業などは主要道路に面した駐車スペース付の一軒家を借りて事務所にしており、それが普通のことだった。いくら企業ではないといっても、ダウンタウンの古い建物の6階に事務所があってもあまり相手にしてくれない。信用はないに等しかった。農業灌漑省の幹部が部下を路上に残し、1人フーフーいながら訪ねて来てくれたことがあったが一度きりだった。何の話で来てくれたか全く思い出さないけど、そのときの様子だけは記憶残っている。それで1年後、日航ホテルに引っ越すことにした。